東京五輪に続き、パリ五輪出場が決まっているアマチュアボクシングの岡澤セオン選手。
「セオン」という名前から、彼がハーフなのか、ご両親の国籍について気になりませんか?
また、岡澤セオン選手が日本で生まれ育ったのか、あるいは海外生まれなのか、その生い立ちも興味深いところです。
さらに、アスリートとして活躍する弟もいるとのこと。
今回は、岡澤セオン選手の国籍や家族について詳しくご紹介します。
この記事でわかること
- 岡澤セオン選手はハーフなのか?
- 岡澤セオン選手のプロフィール
- 岡澤セオン選手の経歴や成績を紹介
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岡澤セオン選手はハーフなのか?
岡澤セオン選手は父親はガーナ人、母親は日本人のハーフになります。
岡澤セオン選手の家族構成は、両親と弟の4人家族です。
- 父親
- 母親:祐子さん
- 弟:オサイリス
岡澤セオンの両親はどんな人?
父親は一般人なので詳しい名前や職業は公表されておりませんが、ガーナ出身です。
母親は日本出身の岡澤祐子さんで山形県出身です。
父親は現在ガーナで仕事をしているそうです。
岡澤セオン選手がときどき連絡が来るとの話しているので、ガーナと日本で離ればなれですが関係は良好だと考えられますね!
お父さんは今、ガーナにいます。たまに連絡がきます。英語で連絡が来るんですけど、英語はあまり得意ではないのでたまに連絡を無視して怒られています。
出典:FNNプライムオンライン
母・祐子さんの実家は、ビジネスホテルおかざわ・味の店スズランを経営している山形県の企業おかざわグループです。
祐子さんは岡澤セオン選手に、「勉強だけはやれ」と厳しかったそうです!
母親は黒人だと日本ではデメリットになることが多いから、勉強は人よりもできるようにさせられました。だから、母親はめちゃくちゃ厳しかったんです。『勉強だけはやれ』って。スポーツは才能が関わってくることだからやってもできないことがあるかもしれないけど、勉強はやればできることだから。
出典: THE ANSWER
お二人の出会いは祐子さんの故郷である山形県に、父親が仕事で来ていた時に出会ったそうです。
運命的な出会いだったのですね!
岡澤セオンの弟はサッカー選手!
岡澤セオン選手の弟・オサイリス選手は2001年6月26日生まれの現在23歳です!
オサイリス選手は現在サッカー選手をしています。
2024年に筑波大学から東京ユナイテッドFCは加入しています。
東京ユナイテッドFCは関東サッカーリーグで現在の順位は5位!
ひとつ上のJFL昇格条件の上位2チームには十分に可能な範囲と考えられます。
兄弟揃って抜群の身体能力を持ち、その能力を発揮し続けています!
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Welcome
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岡澤オサイリス選手が筑波大学(関東大学サッカーリーグ)より加入することとなりました。選手コメント全文はコチラ⏬https://t.co/kMRzAKBklg#東京ユナイテッドFC#筑波大学#山形東高校#大学サッカー pic.twitter.com/g5zBbzhLbM
— 東京ユナイテッドFC (@TOKYOUNITED_FC) January 29, 2024
岡澤セオン選手のプロフィール
岡澤セオン選手のプロフィールをご紹介します。
バレーボール ネーションズリーグ、今日はありがとうございました!
最高の試合を見せてもらえて、パリに向けて気合が入りました!!日本代表おめでとうございます🏐🔥
というか全部置いといてバレーボール面白すぎる!ファンなる!石川は最高すぎた。。
最高の同期に負けないよう僕も努力します! pic.twitter.com/Kl4bcfGXso
— 岡澤セオン (@HinomaruBoxing) June 5, 2024
プロフィール
- 本名:岡澤セオンレッツクインシーメンサ
- 生年月日:1995年12月21日生
- 年齢:28歳(2024年7月現在)
- 出身地:山形県山形市出身
- 身長:179.0cm
- 階級:アマチュアボクシング ライトミドル級(154ポンド以下、69.853kg以下)
- 体重:階級に合わせて調整
岡澤セオン選手の経歴や成績を紹介
- 小・中学校の9年間:レスリング
- 日本大学山形高等学校でボクシング部入部
- 中央大学法学部法律科
小学校と中学校の9年間
岡澤セオン選手は小学校、中学校の9年間レスリングに熱中してきました。
高校
高校は日本大学山形高等学校に進学。
入学当初はボクシング部に入る予定ではなかったが、先輩から半ば強引に誘われて入部しました!
この決断が現在の岡澤セオン選手の原点です。
3年生の時に山形県高校総体でライト級(175ポンド以下、79.38kg以下)を制覇!その後の国体では5位入賞!
大学
中央大学法学部法律学科に入学。
偏差値68~77と言う事なので、勉強をとても頑張ったと考えられます。
岡澤セオン選手は文武両道ですね!
卒業後
岡澤セオン選手は卒業後は引退をして就職を考えていました。
しかし、鹿児島県体育協会から2020年鹿児島国体に向けて強化指導員兼選手として誘いを受けアマチュアボクシングを続けていました。
就職の道を選ばず、アマチュアボクシングを続けること選択し、東京オリンピックとパリオリンピックの2大会連続の出場が叶ったのでしょうね!
経歴と成績
- 2018年
全日本選手権 初優勝 - 2019年
アジア選手権 ウェルター級(147ポンド、66.68kg)銀メダル獲得(*日本人では36年ぶり)
全日本選手権 連覇達成 - 2020年
東京五輪アジア・オセアニア大陸予選5位 五輪出場権獲得 - 2021年
4月:鹿児島体育協会から株式会社INSPAに移籍
鹿児島県鹿屋市ワイルド・Bスポーツジムにて活動
7月:東京五輪出場も2回戦で敗退
11月:世界選手権 ウェルター級 日本人初となる金メダル獲得 - 2022年
7月:第1回エロルダ杯国際トーナメント ライトミドル級 銀メダル獲得
11月: アジア選手権 初戦敗退 - 2023年
2月:パリ五輪アジア・オセアニア大陸予選 代表決定戦勝利
10月:アジア競技大会 金メダル獲得 パリ五輪出場内定
12月:IBA(国際ボクシング協会)チャンピオンズナイトに参戦(日本人初)
まとめ
岡澤セオン選手はガーナ人の父親と日本人の母親の間に産まれたハーフです。
家族構成は父親、母親、岡澤セオン、弟のオサイリス(サッカー選手)の4人家族。
幼少期はレスリングに熱中しており、高校から始めたボクシングで多くの成績を残し続けています。
岡澤セオン選手のボクシングはノーガードになる事が多くなるスタイルが特徴で、自慢のリーチとフットワークの軽さを活かして、対戦相手のパンチが空を切ることが度々あります。
またジャブで自分の距離を保ち、左でのカウンターパンチが武器になります。
岡澤セオン選手のボクシングスタイルで、メダル獲得目指して頑張って欲しいですね!